洋服の基本
僕はシンプルでカジュアルな洋服が好きだ。
その結果、無意識のうちに自然素材を選んでいる。
色は紺、グレー、ベージュ、黒、カーキ、白、そしてオリーブを好んで着る。
ベーシックな色は何年も使える。革、ポリエステル、毛皮は僕においては不要の素材と言える。
洋服は環境だ。と僕は思っている。その場に相応しくない服装は環境破壊だ。とも思っている。
洋服を過剰に語る人は、どこか日常生活を棚上げしているように思う。
バリバリに洒落込んだスーツを過剰に着込んで現れた彼は、果たしてどこから来てどこへ行くのか?そんな刹那的なファッションとは無縁でいた。僕は普段はMINI COOPERに乗っている。MINIは不思議な車でジーンズに白いTシャツ姿で乗り込んでも、ネイビーのシンプルなシングルブレストスーツで乗り込んでも様になる。
春先ならばアウトドア用のオリーブ色したプルオーバーにジーンズで、秋にはネービー色のセーターで。真冬にはワックスコットンのアウタージャケットにコーディロイのパンツで乗り込んでも様になる。ニュートラルな車のデザインがなんでも受け付けてくれる。マルチなデザイン、マルチな色。こんな車は他に見当たらない。
服と車が合っている。というのは確立したライフスタイルを持たないと成立しない。確立したライフスタイルとは、ぐるっと世界を見渡すとパリ左岸派の様なスタイルとでも言えばいいか。日本で”ここ”と表現できる場所が残念ながら今の東京にはない。強いて言えば、80年代に同潤会アパートがあった頃の代官山や、今の中目黒の裏通りといった感じか。兎角ファッションについては”ユニクロの席巻”以来、価値基準に大きな変化が現れた。欧州で言えばパリやロンドン、コペンハーゲンやベルリン、そんな場所に行って洋服を見渡すと、欧州も日本同様多種多様なファッションで満ちているが、どこか同じ匂い、同じ雰囲気を持つ人々を見かけて、ついコーヒー屋の前で立ち話すると共通の趣味を見出すことも多い。「いい眼鏡だね。オリバー ピープル?」なんて声をかけられる事もある。そんな彼ら、彼女らの目にはカトラー アンド グロスやオリバー ゴールドスミス、モスコット、トムフォードなどの眼鏡がかかっている。共通の価値を持つものであれば人種や性別といった境界線はあっという間に消え去る。洋服は、他人と価値を共有するものでも有り得る。僕の価値基準、私の価値基準。確立した価値基準を持つことでその人の生活様式は確立してゆく。
そして面白いことに、素敵だなぁ。と思う人は皆、同じ様な価値基準、同じ様な生活様式で暮らしている。それは真似るでもなく、教わるでもなく、辿り着くというのが正しい表現かもしれない。
ロケーション:代々木公園側 FUGLEN COFFEE ROASTER
シューズ
2017年でコンバース オールスターはついに生産開始から100年を越えた。
1917年に産まれたこのオールスターというバスケット シューズがカジュアルウエアとして長い間 愛され続けていることに驚きを感じる。僕もスニーカーの中でコンバースはニューバランスの次に好きなスニーカーで何足も愛用している。例えば画像の黒いスニーカーはL.A.のサンタモニカにあるコンバース コンセプト ショップで買った。これはアメリカ限定のモデルらしく、インソールの厚みや踵のラバーが通常の製品とは異なる。
イギリスのMHLとコラボレーションしたキャンパス地のオフホワイトも息子とお揃いで買ったりもした。このスニーカーを基準にファッションを作っていくと、相性が良いもの達であっという間にコーディネートは定まる。例えばLL BEANのキャンバス地でできたトートバッグやセントジェームズのTシャツ、フレッドペリーのポロシャツ、なんでもない白やグレーのポケットTシャツ。グラミチのパンツ。そんな普段着のちょっといい感じのモノと良い関係を作れる。いつまでもコンバースのオールスターが似合う男でいたなぁとこの歳になっても思う次第である。
ロケーション:カリフォルニア ACE HOTEL DTLA 1f レストラン 「ル・チャプター」
BELSTAFF
数十年ぶりにオートバイを手に入れたのでオートバイ用の洋服を購入する為にいろいろと調べると、やはりBELSTAFFしかない様に思えた。
スコットランド 6デイズ トライアルの時代から、アウトドアスポーツの大敵である水や汚れを防ぐための(当時の)ハイテクでできた防水素材、ワックスド コットン素材はこのBELSTAFFが最初に取り入れ、同社のICONに育て上げた。
そして英国製ジャケットの特徴的なファスナーリング。チェック柄の裏地。さらに地図などの出し入れのために斜めに配置したポケット。どこを取っても考え抜かれた英国的オートバイ用の洋服の像(かたち)がそこにある。
オートバイ用の洋服の代表作革ジャンはその昔、英国ロンドン郊外にあるACE CAFEに集まったカフェレーサーの連中(ロッカーズ)や米国ミルウォーキーに集うハーレー乗りの代名詞的な衣装であったが、僕はカフェレーサーやハーレーとはあえて一線を画するオートバイに乗っているので、最初から考慮に入れなかった。
そんな経緯で革ジャン以外で、オートバイ乗りに最もふさわしい服は何かないものか?
と探すうちにこれに出会った。
ところが日本のBELSTAFFのお店に置いてあるジャケット類はいわゆるファッションのための衣服に成り下がっていて、機能面で本来のオートバイ乗りをケアする仕様にはできていなかった。BELSTAFFの中にPURE MOTORCYCLEと呼ばれるラインがある。これはプロテクトの為に肩や肘、背中にパットが出し入れできる仕様にできている。
これこそが、本来の機能を伴ったオートバイ乗りの洋服である。それが日本のBELSTAFF店舗には置いていない。
そこで迷わずPURE MOTORCYCLEの洋服を海外に求めた。幸い、良い時代に生まれたため、英国から直接個人輸入で洋服が買うことができるので、あちらの通販で購入した。
ジャケットはあえてトライアルではなくクロスビーと言う型を選んだ。ついでに彼らが目をつけた新素材でできたダグラスも手に入れた。
日本で英国製の洋服は昔に比べ随分と簡単に買えるようになった。それでもこの様にして手に入れないと本物には巡り会えない。BELSTAFFの日本の店舗にはトライアンフのオートバイが飾ってあっても、オートバイ用の洋服(PURE MOTORCYCLE LINE)が置いていない。その上販売員にオートバイライフを尋ねても、彼らはオートバイを所有していない。ここに一抹の寂しさを感じた。 このようなプロダクトへの愛情にかけるお店はいづれ早晩なくなってしまうことだろう。
それでも、さすがに英国モノ。
ワックスコットンのジャケットを着てオートバイに乗っている人は東京でも稀だが、これを身につけてオートバイに乗ると実に過去のステレオタイプ 革ジャン+ライダーとは一線を画するスタイルが出来上がる。決して革ジャン+ライダーがダメと言ってるのではない。僕自身革ジャンにジーンズは大好きなスタイルであることに変わりはない。
しかしながら多様性のない世の中が僕は大嫌いなたちなので、新しい価値観を模索して、様々な面白さや喜びをもたす事ができれば、世の中の幸せを様々な形で享受できるために、これらが必要と考え、実験と検証の日々を送っているだけである。
おかげでオートバイと付き合う時間に2倍の楽しみを得た。
ただでさえ、オートバイと過ごす時間は僕の人生の喜びを2倍にしてくれる。その上この洋服がそれをさらに倍にしてくれ、さらにブーツ、グローブ、ヘルメット、そしてゴーグルといった装飾品が僕の喜びを何倍にもしてくれる。
オートバイと共に、それらを身につけて過ごせば、僕の人生は日常の32倍の喜びで満たされる。
これから少しづつ勉強して、オートバイにまつわる洋服や小物を増やしていこうと思う。
OUTFITS ( CLOTHING )
いつからか、人は衣服を着用する様になり、それが華々しく文化として昇華し、欧州においてステイタスとなり、アメリカにおいてユニフォームとなり、北朝鮮において制服となり、中国において富の象徴となった。
日本においてもファッションの果たす役割の変遷は実に面白く推移し、海外の影響を多大に受けた。
先ずは江戸が明け、開国した明治から1900年代の中盤まで日本人は欧州に寄った。首都 東京では英国紳士などと呼ばれる三揃えのスーツに身を包みハットを被る紳士も出現した。1945年にWW2が終わり、アメリカに対して敗戦国となった日本は、その後あらゆる点でアメリカに傾倒した。
1950年代には後に50'sと呼ばれるスタイル。リーゼントにポニーテールが上陸し、夏はボーリングシャツ、冬は革ジャンが憧れのスタイルになった。1960年代にはIVY リーグに憧れ、本場アメリカのブルックスブラザーズやドメスティックブランドのVANに若い大学生ははしり、トラディショナルな形(なり)や生活様式は非常に人気を博した。その後70年代に入るとフラワームーブメントがアメリカに興り、サイケデリックやフォークロアといったヒッピーな形や思想が日本を直撃した。すると多くの若者が髪や髭を伸ばし、フォークソングやロックの影響でラッパズボンと呼ばれるベルボトムのジーンズが蔓延した。一見汚らしいこのファッションシーンは当時の若者からは絶大なる人気を得て、新たな文化が日本で芽生えた。そして経済成長と共に、高価な時計や自動車もファッションの一部となり、比較的清潔な髪型やオードトワレといった香りまで身に纏う様になった。80年代の前半は日本に興ったデザイナーズブランドによるファッションの洗礼があり、80年代後半からは、イタリアンブランドの席巻が始まった。90年代に入ると身軽さやアウトドアライフの浸透と共にスポーツウエアやフィールドウエアが街中のファッションを変えた。それによってサーフブランドやスノーボードブランド、そしてアウトドアブランドと言った名でカテゴライズされた。90年代末期から2000年前半にスーツは死滅の淵にまで追いやられ、ワークウエアと呼ばれる働く服が人気となった。2010年以降は大型量品販売店のチェーン店が市民権を得た。そして今日現在、多分日本史上、もっともおしゃれに無頓着な時代がやってきた。と僕は思っている。
ファッションは機能におしゃれさや装飾が加わった時、見栄を張り体裁を保つ為のものとして利用される様になった。
つまりよそ様から見て「あーこの人はこんな人」とその人がただ歩いていて一言も発することがなくてもその様に受け取ってもらえる様になった。
その後ファッションそれ自体が楽しい。と感じる時代が訪れ誰かに見せるファッション(見栄のファッション)から、より自己表現の為の(見栄を張らない)ファッションへとここ日本では変化した。おしゃれに意味や理由を尋ね、ロジックを求めると「ファッション的にはどうでも良いよ」と言う訳にはいかない様だ。
昨今のファッションにおいては、もともとネガティブな脇役だったメガネがファッションのバランスを作る相関関係の中で重要なエレメントとなり、またスニーカーシューズも百花繚乱となった為、選択肢が大広角に広がり、中でもレトロでいてトラディショナルなNewbalanceを筆頭にナイキのハイテクシューズやパーソナルオーダーの可能性、そして100年の歴史をついに越えたコンバースのオールスターと言ったアメリカンブランドが犇いている。
ある意味、お金をかけずにうまくコーディネイトする若者はかつてよりも遥かに増え、かつて”ダサい”と言われたファッションの人を見つけることは以前に比べて難しくなった。それほどに平均的にはファッションは上向いた。しかし、街を歩いて目を引く様な(勉強になる様な)なりの人は80's当時に比べて激減した。80's当時はハウスマヌカンと呼ばれるブティック(お店)で洋服を販売するスタッフの方が実に憎い”いでたち”をしていて、東京でファッションに関わる人は、旧型の英国車やBMWの3シリーズ、そしてコンバーチブルのSAABやボルボ、ローバーMINIなどに乗って表参道を往来していた。そして代々木のテントでコレクションが行われた夜はクラブD(ピテカントロプス)などでショーモデルたちと一緒になって飲んだり踊ったりして華やかな世界が、そこに出現した。当時のことを後に振り返って”バブルの時代”と呼ぶ様になったが、若くてまだ株など保有することもない(株式の高騰に無関係な)若者たちが盛り上がる東京の夜で終電が終わってもまだ遊び続けた。日本が元気だった頃ファッションは大きな役割を果たし、かっこいい衣服をまとって街に繰り出し夜通し遊ぶ。という不健全な生活のおかげで街には煌々と灯がともり、笑い声や歓喜はあちこちで興った。そのおかげであちこちでロマンスは芽生え、恋に発展し、愛を育み、家族をもうけたりした。そして車を買い、家族とキャンプや釣り、ハイキングに出かけたりもした。80年代にはオートバイも流行り、海外旅行も増え、趣味や文化的な営みも多種多様性を生んだ。そこで必要となる衣服も増えたたため、さらにファッションは細分化され、奥行きを持つ様になった。
その後、徐々に、潮が引く様に夜の巷から人が減り、2018年現在は終電こそ満員電車の状態に変わりはないが、11:00台の電車に乗るとかつてはあった”とんでもない混雑感”は薄れた。
今、意味を失いつつあるファッションについて再考するに、人間の営みとファッションには非常に深い相関関係があることに気づく。
好景気とともに浮かれた暮らしが始まり、地に足がついた暮らし。が景気の後退とともに始まった。
地に足がついた浮かれた暮らし。というのがあればもっとも楽しい暮らしとなるに違いないが、そうなると毎日遊びほうけるわけにもいかず、せめて金曜日くらいは遊ぼうじゃないか?となりハナ金(花の金曜日)というコピーまで生まれた。
振り返れば、この”ハナキン”はライフバランス的に実によくできていて、金曜日になれば街は華やいだ服装で溢れ、おしゃれをすることでみな気分が上がり、何かワクワクした気分が起こる。これは楽しい未来(今夜何かが起こるかも?)への過度な期待によって気持ちが高揚するからだ。
明るい未来が見えてこなければ、人の気分は上がらないが目の前に小さな明るい未来の灯りを少しづつ灯して行くと徐々に明るい未来がやってくる様にも思えるがいかがなものだろうか?
さて、では果たして洋服の勤めとはなんなのだろうか?とも考える。すると一個人の表層を包む衣服は、やはり、その人自身である。と考えられる。衣服はその人自身なわけだから、経済力も情報力も審美眼も趣味も個性も一括してそこに現れる。
都市にいれば、すぐそこに審美眼の優れたバイヤーがセレクトした洋服が並ぶお店で、旬な服や100年の歴史を有する定番にも巡り会える。その中からモノを選ぶとまずまずの出来栄えになる。田舎町にいて、近くにその様なお店がない場合、おのずと選択肢は限られて、画一的なモノしか手にできなくなる。すると、それ以上望むべくもなくほどほどという程度にしか仕上がりは上がらない。
さて、僕は長い間都市に暮らしていて、一見あちこちに素敵な洋服が並んでいる様に見えるこの東京で、正直に言えば、とても満足に至らないものばかりで溢れている。と感じることが多い。日本にはたくさんの洋服屋さんがあり、みなさん凌ぎを削り、切磋琢磨して新しい洋服を産み、店頭に並べて紹介してくれる。しかし、ほとんどのお店があっという間にその製品をディスカウントして販売する事に、ここ東京にいると気がつく。そしてその洋服は来年ほとんど店頭に並ぶことはない。という現象がある。
例えば、セールにならない洋服。というのがある。セーターであればコペンハーゲンからやってきたアンデルセンアンデルセンやスコットランドのインバーアランと言ったブランド。毎年、シーズンになると店頭に同じデザインのモノが並び、価格も為替の影響で多少上下するくらいのものであるが、大幅な値下げなど行わずとも十分に購買者の支持を得て確実に販売数を伸ばしている。冬の定番となりつつあるカナダグースのダウンジャケットもその一例と言える。ところが例えばMA1という名前のジャンパーが市場に歓迎され復活すると、日本有数のセレクトショップから伊勢丹百貨店メンズ館にある、あらゆるブランド、そしてユニクロに至るまで若干のマイナーチェンジを施しながら一斉に店頭でMA1らしきものが販売される。あと数年経てば、店頭から”ほぼマイナーチェンジした様々なMA1タイプ”は消えてなくなり、上野界隈に昔からある、アルファー社のMA1を売り続けるお店でしか手に入らない時がもうそう遠くない未来にやってくると思う。ここで思うのは、ではどうして最初からアルファー社のMA1を買わないのだろうか?という疑問である。同様にボタンダウンのシャツについても流行や廃れによって市場で湧いたり、冷え込んで淘汰されたりする。ボタンダウンのシャツはジョンブルックスが開発した。だからブルックスブラザーズのボタンダウン(正確にはポロカラー)のシャツはボタンダウンのルーツである。であるならばどうしてボタンダウンのシャツが好きな人はブルックスブラザーズで買わないのだろうか?と考える。
もちろん購買価格は安いに越したことはない。しかしファッションは自己表現つまり自分自身なのである。そこにはその人の考えもモノの見方もセンスも投影される。
そこを妥協するということは、あらゆることにおいて妥協した暮らしを投影することになる。
「賢いお金の使い方」を標榜とするセミナーなどが行われるが、得てして節約か投資の話しかここにはない。本来賢い買い物の仕方とはモノを見る目とその背景にある価値を知ることから始まるのではないだろうか?価値があるものにはお金を叩き、価値がないものには財布の紐を締める。これが賢いお金の使い方だと誰もが知っている。洋服のセール品というのは一見お買い得だけど、セール品はすぐに着ることができなくなってしまうトレンドの終着駅にある製品であって、その先十分に着れるだけの綺麗さがあってもすでに流行という風雨に耐えられなくなったモノはタンスの肥やしとなる運命しか持ち合わせていない。ところがアンデルセンアンデルセンのセーターは10年着れるセーターであり、質の良いカシミアのセーターなどは20年着ることができるかもしれない。つま先が尖った革靴が一時流行ったりもしたが、履けるコンディションで持っていても、すでに世の中の流行からすると、それは履けないものになってしまった。その点、オールデンのチャッカーブーツやパラブーツ、トラッカーズのウィングチップなどは今も変わらぬデザインで定価で店頭で売られているので10年前に購入して、良いコンディションで持っていさえすれば今履いても十分におしゃれな靴であり続ける。
この様にファッションは社会における一つの物差しでもある。その人の持つ価値観、経済力、情報力、審美眼、趣味、個性、生活感が一括してそこに現れる。だから表層を整えるファッションの前に自分自身を整える必要がある。流行とは関係なく、自身のライフスタイルをよくよく吟味して整えると自分目線のものの見方が捉える衣服と巡り会う。
多分そこで出会うものは衝動買いの対象ではなく、自分の生活に沿った一つの自分イズムをわかりやすく表現する代弁者に相当するモノであると考えられる。そうすれば、タンスの中にある衣服はどれも、良い相関関係を作り、いつまでも着ることができる洋服でワードローブは整い、心も整ってくる様に思える。 ファッションにはそんな力が宿っていると僕は思う。衣服とは自分自身を見せるものなのだから自分を大切に考える人は、慎重に衣服について考えなければいけない。そうするともっと人が面白くなり、街が面白くなり地域が面白くなる。そうしておしゃれした人々が街を賑やかにし、その吸引力を持ってさらに人を惹きつけると気がつけば豊かな社会というものが形成される様に思う。
そのためには今、意味を失いつつあるファッションについて再考する必要があると思う。メーカーは永遠の定番を作ることに心血を注ぎ、購買者は定価で買うことによってメーカーを維持存続させるファンとして共に支える関係を構築し、次なる製品開発のために利益をもたらせる必要がある。ZOZOタウン。AMAZONといったプラットフォームを提供する会社が天文学的な売り上げを計上し、創業者が瀟洒な暮らしをする時代。彼らは何も作り出していないのに豊かな利潤を得て、社会に還元する事なく滞留させる。
ネット販売が栄えお店がどんどん閉鎖されると、気がつけば、街は枯れ、寂しい表通りを歩く未来がやってくる。そこへおしゃれな服を着てゆく理由はなくなり、街のファッションは終焉を迎える。今すでにその兆しは見えている。
そのため今、意味を失いつつあるファッションについて再考する必要があると思う。と僕は考えるのだけど、いかがなものでしょうか。