Follow your natural instinct.

 

 

C A R L 1.   M O T O R C Y C L E   D I T T Y   B A G  

" M I T T E "

made of  8 oz waxed cotton  

 

 

BENZINのBAG 1st.issueとしてまずはDitty Bagをデザインした。

 

バッグデザインの要は素材とディテール。

素材は英国のブリティッシュ ミラレーン社のワックスドコットンを使用する予定で、バッグのディテールは乗馬から来ている。

オートバイは、元々は乗馬からの流れを汲んでいる。だから原点回帰を目論む場合、馬具にフォーカスするのは当然の帰結だ。と僕は思った。

そして世界で最も美しいモーターサイクルディティーバッグを作る為には、その素材自体がオートバイを示唆する様なウエザード マテリアルである必要があり、突き詰めた結果たどり着いた答えはワックスドコットンだった。

 

次回、British Millerainのワックスドコットンについて詳しく書きたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

B E N Z I N   M O T O R C Y C L E

 

f o r   G A S O L I N E   T R A M P

 

 

 

 

 

B E N Z I N   M O T O R C Y C L E

 

f o r   G A S O L I N E   T R A M P    ( ガソリン放浪者へ )

 

 

 

オートバイに乗って様々な旅をした。

昨年は、10月に日帰りで走った700kmという距離が最大走行距離だった。

とは言え、これ程の走行距離は年に2回くらいしか走らない稀な距離であって、通常であればアヴェレージで往復400km程という旅が最も多い様に思う。

 

400km前後の距離の良さは、目的地でコーヒーを淹れて飲んだり、そこで仲間と語らう時間も持てる距離。そしてそこそこ走った満足感も満たされる距離。

トータルで見ると五角形のバランスがもっとも取れたツーリングという事になる。

ツーリングはオートバイに乗って走っている往復の時間が楽しく、目的地で仲間と過ごす時間が楽しく、つまるところ朝4:00に集合して18:00に解散という場合、過ごした14時間がまるまる楽しいという結果になる。 

 

走行中はオートバイとそのファッションや装備が自己満足的に楽しい。

 

例えばハンドルをアップハンドルに変えた。タイヤをブロックタイヤに変えた。そんな事は余人には関係がないけど自己の中では、変えたことによって起こる変化が楽しくて、またその結果が期待以上だった場合の満足感については、もはや自己満足としか言いようがない状態になる。往復の道中、特に往路においてはその感覚を余すとこなく楽しむ事ができる。しかしながらハンドルを変えて、意気揚々と走り出したその結果、出来上がったポジションが、理想通りでなかったりした場合は、その日1日が最悪の日となる場合ももちろんある。

 

またイギリスから空輸されて来たBELSTAFFの箱を解き、真新しいジャケットに袖を通し、次回のツーリングでそれを着る為に、持っているパンツやヘルメット、グローブを物色して選び、身につけた後、鏡の前に立ち、その顔に笑みが溢れている姿は想像するに難くない。

ツーリング当日、それらがオートバイと一体となって、うまくコーディネイトできた時には、究極の自己満足感は満たされる。さらにツーリング先で見かける他のライダーが、同じく人馬一体感とも言える素敵ないでたちでオートバイに乗って走り抜ける姿を見れば、他人なのに、なんだか良い気分になったりする。そう考えると、ファッションは実はかなり大切な(環境)要素になる。

 

仲間たちと行く400kmの愉快なツーリング。その愉快なツーリングの為に、必ず僕たちはそこに携帯する必需品というのがある。

それはコーヒーとコーヒーを淹れる為の装備。僕たちはコーヒーの時間を大切する。 昔、侍が馬に乗っていた時代に野点(のだて)というのがあった。

野点とはアウトドア(自然の中)で、自由にお茶を楽しむ究極のリフレッシュ体験。 雄大な景色の誰もいない場所(僕たちはそれをIn the middle of nowhereと呼んでいるが)例えば海辺、湖畔、渓谷、開けた広野、森の中、そんな場所でお茶を一服する。なかなかに洒落た文化なのであった。

僕たちのコーヒーというのはこの野点から来ている。そうすると道具や装備にこだわりも出てくる。それによって結果、究極のリフレッシュは達成される。 美味いコーヒーとそれを淹れる為の道具は風流な時間を過ごす為にはとても大切なのだ。

 

これまでたくさんの装備品をオートバイに積載して旅に出た。

僕はいつもオートバイに積むバッグはフィルソン(アメリカ)やブレディ(イギリス)などのモノを使っている。ブランケットはペンドルトンのヤキマ、折りたたみ椅子はカーミットチェアを愛用して来た。ブランケットも椅子も申し分なく、壊れない限り20年でも30年でもこれらは使いたいと思っている。ところが問題はバッグにある。フィルソンもブレディもアウトドアや日常のバッグとしては素晴らしい製品なのだけど、これはオートバイ様にはできていない。

荷物を積載していると色々と使い辛い点があり、いつも悩ましい思いをしていた。友人が持つユニットガレージ(イタリー)のサドルバッグ、トリップマシーン(インド)のサドルバッグなども間近で見せてもらったが、どうもしっくりとこない。イタリアのユニットガレージはオートバイ用のパーツもたくさん作っていて素晴らしいメーカーではあるのだが、バッグにおいてどうも納得の域に達していない様に僕は思えた。

 

それ以来、軍モノやビンテージ、LAのフリーマーケット、ビリンガムやファルケのようなカメラバッグ。馬具、そして特に英国のフィッシングバッグ、ハンティングバッグ、さらにオーストラリアのDEUSは無論のこと、アメリカの西海岸や東海岸にある小さなバイクイクイプメントを販売するショップ。(例えばオレゴン州ポートランドにあるSEE SEE MOTO.やNY.ブルックリンにあるJANEなどなど) さらに様々なソースにアクセスして最適なバッグを探しまくった。それでも「これだ!」というバッグを発掘できないままに今日に至り、別の角度から考えた。

 

無いモノは諦めるか?、それとも自分で作るか?の二択を迫られた僕は結局作る事に挑戦する方を選んだ。

 

バッグはいつか作りたいと以前から考えていた。そして、いざバッグのデザインが始まると、溢れる様にアイデアとデザインが浮かんできてあっという間に大量のデザインが産まれた。そこから形を絞り込むだけ絞り込み、さらにディテールそして素材を吟味して概ね全体像ができて来た。

 

まず、このバッグの素材は、6 〜10ozのワックスドコットン素材でなければいけない。それも英国老舗の生地メーカー ブリティッシュミラレーン社の生地でないと意味がない。さらにレザーのパーツは英国を代表する文化と技術の粋によってできているブライドルレザー以外には考えられない。

次にデザイン的に、数多あるバッグメーカーが作るモノ達とは完全に一線を画する、独特なモノでなければいけない。そして何よりオートバイに乗るライダーが納得いくモノでなければいけない。できる事ならば、市場(ライダーたち)から拍手喝采を浴びてデビューしたい。さらにバッグの持つ個性は、オートバイを選ぶ位に極端でなければならない。百貨店の屋上で、すべての人に笑顔を振りまくアイドルではなく、ジャズクラブで、無愛想だけど燻銀が効いたアルトサックスをブローするプレイヤーの様でなくてはいけない。

 

だからこのバッグを括り付ける対象になるオートバイとは

BMW、TRIUMPH、BSA、NORTON、MOTO GUCCI、KAWASAKI、YAMAHA、HONDA、ROYAL ENFIELD、これらのメーカーが出して来た旧車全般と

現行車ではBMW R9T、TRIUMPH BONNEVILLやSCRAMBLER、MOTO GUCCI V7、KAWASAKI Wシリーズといった”単車”のアイコンと呼べる感じの丸目ヘッドライトにアップハンドルなスタイルをした、時代を超える意匠でできているモノ達。そういったオートバイに照準を絞った、そんなオートバイ達に似合うバッグにしたいと考えている。

 

「どうしてそこに照準を絞るのか?」と聞かれると、それらのオートバイに乗っている人はBELSTAFFやBARBOURの様な英国の伝統的でクラシックなオートバイウエアを好んで身につけている可能性が高いから。 そうこのバッグは英国の伝統とも言えるワックドコットンジャケットに呼応する様にできていて、それを身につけてオートバイに乗る人の為に作ったワックスドコットン素材のバッグだからなのです。

 

ワックスドコットンはただの素材ではない。それはクラス入りを意味する。

いつかそれに気付き、ワックスドコットン素材のジャケットを手に入れ、それをまとってオートバイに乗り、どこかでこのバッグを見かけた時に「これこれ、こういうのを探していたんだよ」と誰もが納得いくモノを僕は作りたいと考えている。

 

そのバッグは、GASOLINE TRAMPガソリン放浪者  : EV車ではなく、いつまでも内燃系のエンジンを積んだガソリンで走り続けるライダー)の為に、考えられている。だからそのブランド名もBENZIN ( GASOLINEのドイツ語)と名付けた。

 

皆んなのハートにベンジン(ガソリン)が届き、ライダーの中にある何かがスパークすると、僕は嬉しいです。

 

ご期待ください。

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

Ritter und Bauer

 

 



Club T shirts

 

これで3シリーズ目になるモーターサイクルクラブTシャツ。

 

 ワンダーフォーゲルTシャツのデザインコア部分は、いつもメッセージになっている。

今回のメッセージはRitter und Bauerと定めた。ワンダーフォーゲルはドイツ語で、その意味は渡り鳥。オートバイがドイツ製ということもあってクラブ名はドイツ語を採用した。「Ritter und Bauer」も同様にドイツ語でその意味は「騎士と農夫」。我々はオートバイを楽しむクラブだが、オートバイが誕生する前時代、ライダーは馬に乗っていた。そこでRitter。そしてオートバイに乗ってたどり着いた先で、火を起こし、コーヒーを淹れて束の間を楽しむ。まるで農夫のように。そこでBauer。この二つの具体的な現象を「騎士と農夫」という言葉に集約させて載せた。

 

ロードトリップし、誰もいないようなローカルな場所を見つけて、ゆったりと時間をかけてコーヒーを楽しむ。我々のオートバイ倶楽部は、そんな楽しみ方でロードトリップとコーヒーを楽しんでいる。

 

今回のTシャツは全部で4色。手前の胸に大きなメッセージロゴ。後ろ側の裾にはオフィシャルロゴを配置した。

このボディーの黒色に対して、イエローゴールドの文字色を選んだのは、R9Tの本流、黒いタンクにイエローゴールドのフロントフォーク。ここからインスパイヤーされている。又、我々クラブメンバーがこよなく愛するベルスタッフジャケットの左腕につくフェニックスロゴの配色とも合致し、共鳴する。

そのような経緯でデザインされているこのクラブTシャツ。今日8/4にTシャツのボディーがすべて揃い、この後のシルクスクリーンプリント作業を経て完成。

 

いつできるのか。出来上がりがとても楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

嬬恋村のキャベツ畑にて

 

 

05.28.2023

軽井沢と浅間山

 

( 今回は出かけるまでの場面を具に書いてみた )

 

5月のある日曜日、いつもの様に2:00am未明に起床し、家の外に出てタバコに火をつけ、ポーチチェアに腰掛けた。

 

白いペンキが剥がれているアディロンダックチェア。無垢のオーク材で出来ているこのポーチチェアはとても座り心地が良い。寝起きに淹れた暖かいコーヒーを片手に、もう片方の手にはラッキーストライクが。朝から至福の時間だ。いや、朝と言うよりはまだ真夜中か。

 

今日は軽井沢方面へツーリングに行く日。

そのために昨夜は22:00に就寝し早起きした。4時間寝ればなんとか身体は持つ。毎回ツーリングの前夜はそんな感じだ。身支度をして3:00amには家を出た。 空に残る月を見ながら、東名を用賀までぶっ飛ばした。環八もスイスイ抜けて練馬ICから高速に乗り、関越自動車道 三芳PAには4:00amに到着した。空はまだ薄暗く、パーキングエリアは夜明け前の湿った空気に満ちていた。朝方、まだ寒さが残っていたこの日は洋服選びに苦慮した。結局ジャケットはBELSTAFFクロスビー8ozを選んだ。色は黒。パンツもしっかりしたものが必要だと考えスペイン、バルセロナに拠点があるFuel Motorcycleの14ozワックスドデニムパンツを選んだ。グローブはスウェード素材のパンチングタイプ。色はイエロー。BELSTAFFはグローブも良いもの作っている。グローブに合わせてゴーグルはイタリアETHENのチェッカー柄、イエローxブラックに決めた。ヘルメットもBELL MOTO3のブラック。全体を通じてまずまずな感じに仕上がった。

今日は昼から気温が上がることが予測されたので、着替え用にBELSTAFF MANSION JACKET 黒をバックパックに詰めて携帯し、一路軽井沢を目指した。

 

 

今回は浅間山、嬬恋村まで足を伸ばして新緑の中旅を楽しんだ。

万平ホテルは改装中で写真が撮れなかったが、それ以外にも沢山良いロケーションはあったので満足いく内容になった。

軽井沢に来ると必ず朝一番で寄る場所がある。それはベーカリーショップ澤村。ここはロケーションもパンも申し分のない場所で、いつも良い気持ちにさせてくれる。澤村の後は浅間山、嬬恋村へ。ただしこの先の場面は、僕の言語能力ではもう書けない。「良かった。最高」としか言いようがない景色。言葉の代わりに画像から雰囲気を感じてもらえれば幸甚だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

04.15.2022

旅とコーヒー

 

 

オートバイに乗って旅する時。 そんな時、コーヒーはもっとも大切な積載品となる。

倶楽部で日帰りの旅をする時は各自がコーヒーを準備する。家で作ってポットに入れて持ってくれば、装備も少なく効率も良い。

 

さて、ここで考える事は何か?というと効率へのアンチテーゼだ。

現代人は、いや、文明人は常に効率を追求する。効率が良いと人は幸せなのだろうか?効率によって生まれるのは余剰時間ではないだろうか。

洗濯機や食器洗い機が登場して、主婦を仕事から解放した。と一昔前に言われた。さらに現代はルンバが床を走るようになった為、主婦の仕事

はかなり軽減された。それは良い。

 

しかし何もかも効率良く。という事を絶対視して追い求めると食事はインスタント食品になり、衣服は化繊になり、椅子はプラスティック製へと変わる。

果たしてそれで良いのだろうか?とある日、大いに疑問を抱えた。食品も衣服も家具も、それでは不味いのだ。コーヒーなど、一度美味しい豆を美味しい状態で頂いた経験があればインスタントは飲めたものではない。 そんなのは「ただの黒い水」と言っても良いだろう。

 

だから僕達の倶楽部ではコーヒーは常に現地で豆を粉砕して、ドリップして淹れて飲む事にしている。コーヒー豆も様々だけど僕はノルウェーのオスロから日本に来ているフグレン コーヒーが好きなので、そこのコーヒー豆か、二週間に一度ドイツから届くSLURPが送ってくれるコーヒー豆を持参する。

とは言え、荷物はコンパクトな方が良い。火興しの道具は日本のSOTOを愛用している。マグカップはYETI。このお尻が丸い形状は実はこのマグがワインのために作られたマグカップだからだ。中にはコーヒーが10oz分入る。一杯のコーヒーとしては十分なサイズだ。そしてドリッパーはRIVERSのケイブ リバーシブルのオリーブ色を使っている。これは携帯しやすい。ミルはハリオのセラミックとオリーブウッド素材で出来たものを使っている。

 

手荷物は最小限。

 

とは言っても譲れない物ってある。それがこのコーヒーセット一式だ。

斯(かく)して、旅先の川沿いで、湖畔で、森の中で、波打ち際で、岩場で淹れて飲むコーヒーは格別の味となる。

而(しか)して、これを「効率」という名の、手順を端折った行為で出来上がったモノの味が勝るはずがない。先ずはコーヒー豆を調達し、湯を沸かし、豆を挽き、コーヒーを抽出し、ようやく口に運ぶ。この飲むまでの一連の無駄ともいえる非効率な動作は、実は手順を追った行為とも言える。

 

あえて効率を求めず、物事の手順を追うと見えてくるモノがある。 これが見えた人はキャンプの虜になり、これをまだ見ぬ人は自動販売機の缶コーヒーの虜になる。

 

近頃 オートバイに乗っていてこの効率という事について良く考えるようになった。そしてオートバイで走りながら気がついた。僕の股の下に1200ccのエンジンを積んだ最も効率の悪い物がいる。「なんだ、答えはこれじゃないか」とあっさりと答えが見えた。寒さ、暑さを一身に受け、雨や風に悩まされ、コーヒーも飲めず音楽も聴けずに移動する。この非効率なオートバイと言う乗り物に乗って喜んでいる。これこそが人生、これこそが「La Vie en rose」じゃないか!。

 

「効率を求めると、つまりは、幸せを齎すのか?」  

 

これまでに、そんな事をテーマにロマンチックな歌を歌う人は存在しなかった。人生で最も大切な事は、効率を求める事だけじゃない訳だ。

この答えに気づいた後、時速100キロで走る高速道路の上で、僕の頭の中を1時間以上エディット ピアフがリフレインしていた。1時間も。

さすがに1時間。これが吉川晃司じゃなくて本当に良かった。いや、それもまた良かったかもしれないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


03.18.2022

日帰り旅行

 

 

日の出前から薄暮までの間、オートバイに乗ってする旅。 そんな日帰り旅行が僕は好きだ。

手荷物は最小限。そして衣装も最小限で旅に出れる。風呂に入る事を目的の一つにした場合は着替えが必要になる。

「まぁ、着替えはなくても大丈夫か。」というのが男子の良い所でもある。そうなると旅は、ほぼ手ぶら。金、免許、クレジットカードさえ持って出れば事は足りる。

 

僕は横浜に居を構えているので、常にここが旅の起点になる。僕は大体旅に出ると300-600キロ位の距離を走る。そうすると走る事ができるエリアは自ずと決まって来る。東西南北方面に向けて、僕はこれまでに幾つかの独自ルートを作った。

コースは大体6コース位に分かれていて、季節や気分で前日にその中のコースを選ぶ。そして衣装も。

「明日は何を着ようかな?」という瞬間から実はもう既に旅は始まっている。

 

そこで先ずは明日の気温を調べる。それに相応しいジャケットを選ぶ。僕は基本的にオートバイ に乗る時はオートバイ 用のジャケットを着る。

アメリカのライセンス物のライダースウエア(もどき)は僕の家には無い。あるのはワードローブにズラリと並ぶワックスコットンジャケットだけだ。

気温によって6oz,8oz,10ozと厚みが違うジャケットを選ぶ。そして伝熱線入りのベスト。これは冬場から春先にかけて手放せない代物だ。

裸にワッフルでできたロングスリーブのTシャツを着、伝熱ベストを着た後、ショートスリーブのTシャツを羽織り、そこへジャケットを着ると概ね出来上がる。パンツはレザーだったり、コットンだったり、デニムだったり。それらも同じくライダース用のパンツを使う。

スペインや英国には心底オートバイ が好きな連中が居て、彼らが作るウエアは地球上で最も美しいと言える。そして最後にブーツまで決める事ができれば後は寝るだけ。翌朝ヘルメットにゴーグル、グローブの支度が整えば、すぐに出発できる

 

 

未明に起きて、まだ夜が明けきらぬうちに出発するのが旅の最初の醍醐味だ。走っている内に夜明けを迎える。そうすると湿った空気が一気に陽の光で乾いた空気へと変わってくる。そこから本当の旅は始まる。走り出すと直ぐに顔中に季節の風があたり、季節の匂いが舞い込む。そうか、もうすぐ三月か。

そんな季節感はどこからともなく五感に向かってやって来る。オートバイに乗っていると一年間の季節の移ろいは手に取るようにわかる。

自然との一体感は何よりのご褒美だ。

 

さて、季節も少しづつ春めいてきた。気温が上がると僕が最初に赴くのは先ずは富士山の辺り、次に信州、そして軽井沢方面。

春が来て、夏が終わるまでの束の間の季節は、北に向かうに限る。小淵沢、八ヶ岳、軽井沢、霧ヶ峰。時間ができればさらにその先まで行くと最高の日帰り旅行ができる。寒い季節、千葉の外房と伊豆半島で凌いで来たが、もはや気温も15度を越えてきたので、そろそろ北上を始めても良い季節になってきた。

 

今年は一体どんな邂逅があるのだろうか。

 

 

 

 

 

人間の感性に寄り添う感覚性能

 

 

「BMWのオートバイ は他のオートバイ と比べてどこが面白いのですか?」最近、このような質問をよく受ける。

「乗ればわかるよ」と僕は答えるようにしている。

 

ハッキリ言って、いちいち説明するのは難しいし、面倒臭い。

 

「ハーレーの良さって何? トライアンフはどこが良いの? ドカティって?  KAWASAKIは?」

これらの問いを誰に聞いても、またその誰かが適切な答えを持っていたとしても、やはり乗ってみないとそのオートバイ の持つ個性は分からない。

だから知りたければ、乗るに限るのだ。

 

ところで、BMWのエンジンの何が良いのか?について語り合うことは良くある。

もちろん、同じエンジンを持つ者同士の会話として。僕はいつも思うのだが、このエンジンは人間の感性に寄り添う感覚性能を持っている。

性能というのはデータや数値が示してくれるが、感覚性能は数値化できない。 生き物のような感覚。 それが感覚性能だから。

そのBMWらしい感覚性能が、人間が持つ何とも言えない感覚に符合するのだ。 機械なのにただの機械ではなく、エンジンなのにただのエンジンではない。

この感覚は他のオートバイ にもある場合がある。ハーレーやモトグッティ。これにも少し似た鼓動がある。 でもBMWのそれとは違う。ハーレーは人間の感性に寄り添ってはいない。感性を刺激して興奮させる作用がハーレーのエンジンにはある。

 

人間の感性に寄り添う感覚性能。これがあるのはBMWの油空冷ボクサーツインエンジンだけである。

そこがBMWが面白い最大の理由だと僕は思っている。こんな話を、乗った事がない人にしても意味がない。

 

だから僕はオートバイ のキーを渡して、「エンジンかけてみて」という。

エンジンがかかった瞬間、オートバイ は左右に横揺れする。始めての人は驚くほどに揺れる。そして「オー!!」と大概の人は声を上げる。

感覚に刺さった瞬間である。

 

”横に揺れる。”もはや、それだけでこのエンジンの虜になった人は多い事だと思う。

かくいう僕もまたその一人である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1 Nov.2021

 

Wandervögel Wandervögel

 

 

MOTORCYCLE CLUB
記念すべき10月3日。 
我々は、僅か4人でオートバイのクラブチームを作る事になった。
The Friday Street Club (UK)から始まったCLUBと言う思想と歴史。我々もこの思想の末席に加わりたいと思う。
我々は皆、同じR9Tと言うオートバイに乗っている。
このオートバイはBMW MOTORRADが1923年の創業時に作った油空冷ボクサーエンジンを今も心臓部に持っている。そこがR9Tの大きな特徴で、メーカーとしてはアイコニックな車両として扱っている。又このオートバイは新しくもあり、どこか懐かしい雰囲気をも持っている。
デジタルや高度なハイテク車とは程遠い油空冷のオートバイは、エンジンが長時間高温に晒されると水冷式のオートバイと違ってオーバーヒートしてしまうのである。そんなオートバイを好む四人はある意味風流風雅を好む粋人である
文明人が新しい技術や利便性を追求する中、あえて不自由で不便なモノを選んでいる。そんな野蛮人がクラブを作る事になったが、そもそもクラブとは英国で興き、欧州全土へ広がった集いの会なのである。
コーヒーショップの一室で同じ思想や趣味を持つ者たちが集う様になり様々なクラブが勃興した。コーヒーショップの拡大に比例して英国のクラブも栄えていった。日本にもクラブと名が付くものは数多あるが中々その体を成していないクラブが多い。そもそもクラブの会員が100人とか1万人というのは元来のクラブの趣旨からすでに外れている。1万人で語り合う事など不可能である。名前すら覚える事も能わず。本来のクラブとはもっと少人数で閉鎖的、排他的。そしてある意味、その趣味について変態的な偏りを持っているものだ。ヨーロッパのクラブは趣味を通じた交流を本来の目的としているが日本のクラブは趣味そのものが目的となっていてサロン的な語らいや飲み食いを伴う交流が必ずしも目的とされていない。その為、目的が終わったら帰る。と言う不自然な形態になっている。共通の趣味を持つからこそ人生の機微について語り合う時、「同類を見た」と言う一体感を得る事が出来るのである。趣味を楽しみながら、主たる目的であるカンバセーションを楽しむ。我々はそんなクラブにしたいと考えている。
さて、我々のクラブはオートバイを軸にしたクラブ。そこで相応しいネーミングを探していて、先のThe Friday Street Clubと言う名前もレガシーさがあって面白いなぁと思っていたが、自らの行動と合致しないので次点とした。
その後思いついたのが、このワンダーフォーゲル。ドイツ語で渡り鳥と言う意味から来ている名前だが、4羽(4人)の渡り鳥でスタートしたのでロゴの中に四羽の鳥を描いた。そして複数の鳥なのでvogelをvögelとした。 さらに売買行為は無いのでBMWのロゴを拝借し、2020年度の最新ロゴに意匠を近づけた。ロゴマークが山から登る朝日のようであり、山沿いに落ちる夕陽のような雰囲気でもある。このロゴは太陽であり、夜空に輝く月のようでもある。これはメンバーの一人パイロットで世界を飛び回る。Mr.Aokiの言葉である。
上手い表現をされる。
すなわちBMWのロゴマークが表すのは我々の水先案内人であると言う意味になる。そして「夕陽に向かって…….」と言うセリフが映画で使われる様にこのグラフィックは、「我々はBMWに導かれて、参集した。」と言う事を表している。

 

 

最後に、
真正面からこちらに向かって飛んで来る鳥の姿を、最もミニマルな意匠で表現すると " V " となる。
これは(1羽の)鳥が羽ばたく姿の象徴。我々のチームは4人で編成されているので、4羽の鳥が羽ばたく様子を象徴するとV x 4 で ” V , V , V , V " となる。
2羽の鳥は V+V = W。 4羽の鳥は V+V+V+V = WWとなる。
ワンダーフォーゲル ワンダーフォーゲルの頭文字WW。
WWの意味はそんな意匠からも来ている。
6羽の場合はWWWとなり、8羽の場合WWWWとなる。
チームが6人になったらWANDERVOGEL  WANDERVOGEL WORKS
チームが8人になったらWORLD WIDE WANDERVOGEL  WORKS
とでも名付けるか?

 

 

 

BMW R NINE T URBAN G/S                         © Y A S U A K I     K U R O K A W A  |   T S U K U - H A E   

 

オートバイ

 

日本では二輪車は全て「オートバイ」と呼ばれる。

「モーターサイクル」と言う言い方が世界共通の言葉だけど、この日本のオートバイと言う響きが僕は好きだ。

 

「オートバイ」と言う響きから最初に連想する車種はなんだろうか?

僕の中では先ずはKAWASAKIのW650かZ2もしくは、HONDAのCB750。そうオートバイという響きの先に片岡義男の書いた小説「彼のオートバイ彼女の島」や80年代に流行った漫画「あいつとララバイ」「バリバリ伝説」といったタイトルがイメージされる。

 

80年代、オートバイは単車とも呼ばれていた。単車からイメージされるのはYAMAHAのSR400だろうか。

 

オートバイは80年代にレーサーレプリカと呼ばれるカウル付きのそのままレース場を走れそうなオートバイが出現し、新たな市場を獲得した。

YAMAHA FZR、RZ、SUZUKI Γ(ガンマ)、HONDA NSR、と言った車種にワンピースの革のツナギ姿が巷を闊歩した。

詳しい統計を調べたわけではないが、僕の肌感として日本市場における二輪車の最高隆期は多分この頃だっただろうと推測される。

高度成長とともに、70年代にオートバイと言う文明の利器に跨って、若者が北海道を目指す事は新たなムーブメントの始まりだった。

そんな華々しい歴史を持つ日本のオートバイ乗りを表現する形容詞はきっと「革新」だったのだろう。

 

オートバイの歴史は古い。

アメリカを代表するハーレー ダビッドソンは2003年に創業から100周年を迎え、ミルウォーキーに多くのハーレーとハーレー乗りが集まり、一大盛況のイベントを連日行い大いに盛り上がった。ハーレー ダビッドソンには常に「自由」と言う形容詞が付いている。これこそがアメリカ的で、ハーレー ダビッドソンこそが自由の象徴であったし今現在もそうである。だからハーレー ダビッドソンと言うオートバイを手に入れることは自由へのパスポートを手に入れる様なものであった。

 

イギリスはどうだ?

イギリスにはノートンやトライアンフ、BSAと言った名車が揃っていて、アメリカのハーレーの様に「オンリーワン」ではない。しかし、イギリスのオートバイとライダーのスタイルは特徴的で、俗に言う「カフェ レーサー」と言うスタイルがもっともイギリス的と言える。

セパレートタイプのハンドルをクリップオンにして、前傾姿勢で低く乗る。上着はブラックのレザーでボトムもブラックレザーかブルージーンズと言うスタイル。英国のオートバイ乗りに付ける形容詞はきっと「反抗」だろう。パンクやモッズ、そしてカフェレーサーのスタイルは社会に対する若者のアンチテーゼであった。

 

日本が作ってきたオートバイと言う「革新」、そしてアメリカが作ってきた「自由」、英国をイメージさせる「反抗」

これらのキーワードを拠り所に今日現在も世界では、ノスタルジックなオートバイの世界に惹かれる人々は後を絶たない。

 

さて、20世紀に入り、オートバイ市場は一変した。

それはオーストラリアからDEUSがやってきたからだ。彼らはカスタムバイクと言う究極の理想や夢を形にする作業を惜しげも無く行い、世界に一台しかないカスタムバイクを世に出し始めた。おまけに彼らが提案するウエアはどこのメーカーよりも美しく、歴史的背景を基にオートバイ乗りの食指を震わせる様な世界を作ってきた。

昨今ではスペインのFUELもノスタルジックなスタイルとハイテクを組み合わせたレトロモダンなウエアを提供している。またロンドンにあるTHE BIKE SHEDではライダーのためのパラダイスのようなお店をショーディッチに出して連日ライダーで賑わっている。 

 

そうしてオートバイの世界は今日を迎えた。

 

最後にイタリアについて書こうと思ったが、イタリアのオートバイについて書くと紙面が足りなくなるほど奥が深いので、ドイツについて書こうと思う。

 

ドイツでは唯一BMWがオートバイを生産しているメーカーとして存在している。彼らもすでに創業から90周年を超え100年に向かおうとしている。

世界中に星の数ほどオートバイは存在し、数々の名車が生まれては消えてきたが、BMWのオートバイ、つまりボクサーエンジンを積んだオートバイほどワン アンド オンリーなオートバイはない。

日本のHONDA,YAMAHA,SUZUKI,KAWASAKIの作るオートバイが前方50Mの位置にいてこちら側を向いている。果たしてこちら側に立つ人間はそのオートバイのエンジン部分を一目見てメーカーを言い当てる事が可能だろうか?

 

前方からオートバイのエンジンの形状を見て一目でメーカーがわかる唯一のオートバイ。それがBMWのボクサーだ。

これはBMW以外のメーカーが真似できない唯一無二のものであり、現在市販されているGSシリーズに搭載される機能(例えばサスペンションなど)も外観は真似る事ができても、他社が真似できない技術の粋を集めたパーツである。

BMWは他社のオートバイと比較して物を作る事をしない。もっと言えば他社に影響を受けないオートバイと言える。

自社の中にある哲学、ロジック、そして目標に向かってコツコツと技術を研鑽し、新しいものを作ってゆく。

この姿勢は、他のメーカーにはない。そして彼らは創業90周年を記念して、ついにR NINE Tと言う新型シリーズを構築した。どこか懐かしさを漂わせながらモダンなスタイルを併せ持つこのシリーズは多くのライダーを虜にした。

そしてパリーダカール ラリーを制覇し80年代に栄光の頂点に立ったR80G/SをリディスカバーしたURBAN G/Sを昨年発表した。

 

アメリカン バイクも、英国的な単車も、日本のオートバイも素晴らしいが、今日現在においてこのBMWのR NINE T URBAN G/Sを超えるスタイルとカラーリング、乗り味、鼓動を持つオートバイはないように思う。

 

僕の中のワン アンド オンリーはこのオートバイだと言える。

 

さて、ドイツのオートバイへの形容詞といえば果たしてなんだろうか。その技術力、革新性、そして世界観。決して派手ではなく、かといって隅にも置けないその存在感。 なんとも形容しがたいのがドイツの工業製品なのである。

 

 

 

 

 

 

GSの始まり

 

 

1980年代、日本の鈴鹿サーキットは熱かった。

フレディー スペンサーやワイン ガードナーと言った海外の超一流のライダーや片山、平と言った日本の素晴らしいライダーも相見える鈴鹿サーキットで行われるGPや耐久レースには多くのバイクファンが押しかけた。ライダーもスタッフもレース前夜は緊張と興奮で眠れない夜を過ごしたことだろう。

 

僕が初めて鈴鹿へ行ったのは1983年か、84年だったか。観戦が楽しかった事は言うに及ばず、レース以外でも面白いことが沢山あった。観戦チケット片手に野郎等とオートバイに乗って勇み鈴鹿へ向かったが、あと先考えずに向かったレースで賑わう鈴鹿サーキット近郊で空き宿などは無く、溢れてしまった10人近い人数の男だらけで国道沿いのラブホテルの一室に泊まった。(今の時代おおらかさを持ってこの様に受け入れてくれる寛容さは世間にはきっとないだろう)当時のラブホテルには艶かしい仕掛けがいろいろあって、探究心と好奇心を多分に持った10人の10代の若者等にとっても、緊張と興奮で眠れないレース前夜となった。

 

そんな80年代の中盤、日本では当時あまり知られていなかったが欧州では既にグランプリレース以外にも新たなるレースが誕生していた。

それはパリ〜ダカール ラリーレース。このレースは1978年にフランスで始まり、80年代には欧州で既に有名なレースとなっていた。

フランスで始まったので正式名称はフランス語で「Le Dakar」(ル・ダカール)。

走行距離12,000㌔に及ぶレースは毎年クリスマスか大晦日、元旦あたりにスタートする。それにしても大した距離だ。日本列島北海道から鹿児島まで走っても3,000㌔しかない。と言う事は北海道の最北端から鹿児島の最南端までの距離をざっと2往復走ると12,000㌔に到達する。上から下までで3,000㌔と言うのが島国に住む日本人の思考回路を作っているので日本人の感覚からするとパリ〜ダカールの距離は馬鹿げた、気が遠くなるほどの距離だ。ここで明らかなのは、欧州人と日本人とでは既に尺が違うと言う事だ。昔々、欧州人等は堅牢な船を拵えて世界へ向けて広い海原を突き進んだ。時には香辛料や金銀鉱物、ダイヤモンドにお茶を仕入れ、はたまた仕入れを円滑に行うためにその国を植民地にしたて統治したのは歴史の知るところだけど、要は彼らは他の民族に比べてスケールが大きく、それでいて「元気が良い」ということに尽きる。

 

そんな元気が良いフランス人、サビーヌが考案したのが、パリ〜ダカール ラリー。 その名の通り、フランスのパリがスタートで、セネガルのダカールがゴールになるラリーレースだ。

1979年にスタートを切った第1回目のレース(レースには二輪と四輪が参加する)で、二輪部門の優勝を果たしたオートバイは、我が国が誇るYAMAHAのXT500。YAMAHA TX500は翌年もパリダカを制して連覇を果たした。無論、そのおかげで今でも欧州では古いYAMAHA XT500はレジェンダリーなオートバイになっている。

 

そして翌年、第3回目のレースでYAMAHAを破り、その後もパリダカで通算二度目の優勝までも果たしたのが、フランス人 ユベール・オリオール。

彼が優勝した1981年、そして1983年に乗っていたオートバイは画像のBMW R80 G/S。ここからBMW社のGSの歴史は始まった。

 

日本人が鈴鹿サーキットを走るGPレースに夢中だった頃、既にBMWはGS部門に力を注ぎはじめていた。今日のBMW GSシリーズは80年代のパリダカでの快挙を起点に実は既に40年の歴史の上に成り立っている。さて、ではGSシリーズのG/Sの意味とは何からきているのだろうか?調べてみると面白いことがわかった。Gはゲレンデ。Sはシュポルトの頭文字。ドイツ語のゲレンデは起伏のある山々(オフロードの意味)。これはメルセデスの車でも使われている呼称、ご存知Gクラスの頭文字のG。これはこのゲレンデの略なのだ。そしてシュポルトは英語でスポーツ(オンロードと言う意味)で使用されている。G/Sと言うのはゲレンデ・シュポルトの略で、ON ROADでもOFF ROADでも楽しむことができるオートバイ。と言う意味で命名されていることがわかった。

 

R nine T urban G/S。僕はこれに乗ってるけど、他のGSシリーズとは一線を画する。全てのGSには/(スラッシュ)が入っていない。R nine T urban G/SだけはG/Sとなっている。この命名はパリダカを制覇したR80 G/Sと同様で他のGSとは様子が違う様だ。つまり、あの時の遺伝子を色濃く受け継いだのがこのurban G/Sと言うことになる。

 

それにしても昨今、トライアンフ、モトグッチ、ヤマハにホンダにスズキ,ハーレー ダビッドソンと言ったオートバイメーカーが、こぞってこのon off road向けの新型オートバイの発売を始めた。おかげでオートバイの形状や衣装にも変化があらわれた。

それはそれで素晴らしいことだけど、誰も切り開かなかった新たなるオートバイの地平線を切り開いたのは他ならぬBMW MOTORRADである。その事を忘れずに心に留めておきたい。パイオニア スピリット。何事においても最初というのは凄いことである。そしてその精神を持ち得ることが最も大切である。

 

 

 

Je vous emmène aux portes de l'Aventure... mais c'est à vous de défier le sort.

 

私にできるのは、“冒険の扉”を示すこと。扉の向こうには、危険が待っている。扉を開くのは君だ。望むなら連れて行こう。

 

                                                                                                                                                         サビーヌ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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アメリカのハーレー ダビッドソン以上にオートバイとライダーの関係がマッチした世界はない。と言えばきっと「トライアンフはどうなんだ?」

とあちこちから言われるだろう。

 

とは言え、ひとまずトライアンフは置いておいてH.D.(ハーレー ダビッドソン)のあるライフスタイルについて考えたい。

H.D.は日本に輸入されるオートバイの中でもっとも輸入数の多いオートバイとしてもう何年間もの間、首位に立っている。

日本では毎年、大体20,000台くらいの輸入大型バイクが登録されるが、そのうちの半分をH.D.が占めている。

統計とは面白いもので、近頃「ハーレー ダビッドソンの国内シェアが落ちている」というニュースを見るが、ハーレーの人気が下がっているわけではない。中古車を含めると日本には相当数のH.D.が入ってきている。 玉数が多いから中古市場も活況でものによっては60万円から買うことができる。 その上、「昔のモデルの方が好きだ」「インジェクションが嫌いだ」という理由で古いモデルの人気は一向に下がらない。特に2007年を境にH.D.はすべてのモデルがインジェクション化されたため、2007年以前のモデルの方が今持って人気が高かったりもする。(これは国産車にも言える。顕著な例で言えばYAMAHA SR400などがもっともわかりやすい)

 

そして、ウエアーやグッズはオートバイと共に良く売れてきた。

「きた。」というには理由がある。それは「今、それほど売れなくなった」という文章が後に続く。

 

そう、昔のようにハーレーグッズは売れなくなった。らしい。「だったらやはり人気後退じゃん」という人もいる。

僕から見ると、東京の街中で見るハーレー乗りはもっと洗練されていてハーレーグッズを身につけていない。

革ジャンはSHOTTやVANSONを着ていて、ブーツもRED WINGやWESCOを履いている。遠くに仲間とツーリングに行く時にはあえてハーレー ダビッドソンのロゴ入り服を着ることはあっても、日常でハーレーと書かれたTシャツを着てハーレーに跨っているのは昨日ハーレーを買ったばかりのビギナーくらいじゃないのか?

 

ハーレー ダビッドソンはアメリカンライフの象徴なのだ。

 

だからハーレーが好きな人はカリフォルニアスタイルの家に住んだり、海のそばに家を建てたり、車といえばワゴニアやJEEPを持っていたり、ジーンズといえばLEVI'Sの501の赤耳や流行りと無関係にブーツカットだったりLEEのRIDERS 101を履いていたりする。もっと言えば髪が長かったり、洋楽が好きだったり、FILSONなんかが好きだったりもする。例えば、原宿にあるマッコイに行けば、完璧にそのテイストのものが上から下まで揃う。アメリカンワールドを自分のライフスタイルに持ち込みたい人は、最後にハーレーを所有し、ハーレーに乗ることによって完璧に補完される。こんなオートバイは世界中探してもハーレー ダビッドソンしかない。

オートバイを見るだけで、所有者のライフスタイルが想像できる。そこには「自由さ」と「イージーさ」が溢れる夢のような世界がある。

 

オートバイという乗り物はライダーを遠くに運んでくれる。

 

電車も飛行機も船も僕らを遠くに運んでくれるが、オートバイのそれは移動する距離というだけではなく、違う世界にも運んでくれる。という意味で、オートバイというものはただの移動手段というだけではなく、特別な乗り物なのだ。オートバイは魔法の乗り物。と言ってもいいかもしれない。逆に言うと文化的な営みに誘う魔法の乗り物ではないオートバイには価値はない。雨を直接受け、極めて寒い日の身を切るような風を受け、極めて暑い真夏の太陽光を感じ、コーヒーも飲めず、音楽を聴くこともままならない。そんな不自由極まりない乗り物はない。

 

H.D.に乗るライダーはハーレー ダビッドソンに跨って走っている間、トリップしているのだ。

トリップとは「移動する旅」ではなく、頭の中で描く自分の世界へ、独自の世界へ飛んで行っているのだ。

 

ハーレー ダビッドソンとは恐ろしい、心と脳に効く劇薬なのだ。こんなオートバイは世界中探してもハーレー ダビッドソンしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ナナハン

 

今の若い人とオートバイ談義をして「ナナハン」と言って通用すのだろうか?

一昔前は「それって、ナナハン?」「ナナハンいいよね」と言って、大型バイクのことをなんとなく総称して「ナナハン」で括っていたことがあった。

 

ナナハンとは排気量が750ccのオートバイの俗称だった。

 

KAWASAKIのW650のようにナナハンではない大型バイクを所有している人は「いや、これはKAWASAKIのW3。だから650ccだ」と自慢げに大型だがイレギュラーサイズであることを誇ったりもした。

 

HONDAがCB750を発売したことから日本のナナハン文化は興った。当時の自動二輪車の免許制度は「中免」と言って400cc以下のオートバイを乗ることができる免許を自動車教習所で習得することができたが、それ以上の排気量に乗ることはできなかった。排気量限定の免許だった。

「中免」の上にあったのが「限定解除」と呼ばれる「大型自動二輪」の免許だった。これを持つことは「ナナハン」へのパスポートと言うわけだ。ところが、自動車教習所で当時この「限定解除」の免許は取れなかったのである。それゆえに直接試験場で試験を受けて、俗に言う「一発試験」に合格しないと所有できなかった。ところがその合格率はわずかに1%と言う狭き門。100人に1人と言われたこのライセンスを持つことは至難の技だった。だから街中で「ナナハン」に乗っているライダーをみると、オートバイ好きは振り返って「おー、すげーいいなぁ」と羨望の眼差しで見送ったものだった。

 

日本という国は面白い国で、自ら規制を緩和することは滅多にない。むしろこの国は庶民に対して我慢や現状維持を強いる国で、そういう意味では共産主義、社会主義のような意識は官においてまだまだ強い。だから役所に言って融通の聞かないお役所の公務員を見ると「東側の国」のような上から目線の対応を受けることになる。

「許認可申請」についても「許可している」「許可してやってるんだぞ」と言う上から目線は今日も健在で、それを浴びせられると庶民は「へへー」とこうべを垂れる図式になる。

 

そんな日本で、オートバイの世界において、制度が変わる「いつもの出来事」が起こった。原因は「ガイアツ」だ。

 

自ら規制を緩和することは滅多にない日本にアメリカ(ハーレー ダビッドソン)とドイツ(BMW MOTORRAD)から外圧がかかった。

「そんな馬鹿げた(日本の)免許制度は世界でも類を見ない。直ちに撤廃すべきだ」この外圧に対して事なかれ主義のお役所がようやく重い腰をあげた。それによって、大型自動二輪は自動車教習所に通って取得することが可能になった。オートバイの世界における黒船がハーレー ダビッドソンとビーエムダブリューだったのだ。

 

その結果、大排気量を誇るアメリカのハーレーダビッドソンはこれまで以上に日本に上陸し、イギリス、イタリア、ドイツからも続々と大型バイクの流通が始まった。

国産メーカーもこの波に乗って大型化した。

 

「ナナハン」の時代は終わり、今は1000cc以上のオートバイのことを「リッター車」と言うらしい。

 どこか懐かしい響きのあった「ナナハン」。今持って「ナナハン」は僕ら世代にとって憧憬の存在である。